2014年7月18日金曜日

「節子夫人が語るバルテュス展」

「節子夫人が語るバルテュス展」

77日にNHKカルチャーセンター京都で行われた「節子夫人が語るバルテュス展」へ行ってきました。
節子さんの美しいお姿と身のこなしを見ながら、とても興味深く面白いお話を聞くことができて、至福の1時間半でした。

さまざまなバルテュスにまつわるお話、ご自身のお話をしてくださったのですが、特に私が興味をひかれた話を残しておきたいと思います。
以下は、節子さんのお話にあったバルテュスの考えを、メモに基づいて書き残したものです。

「義務教育には反対である。義務教育はテストの点を取ることに長けた人間のみを優秀とみなすからだ。」

「能は日本の世阿弥が当時作った言葉と動きが今も受け継がれているため、今日の人も世阿弥が意図したものをそのままに近い形で見聞きすることができる。
対してフランスのラシーヌは文章は残っているが、動きはその時代時代に合わせて変わっていったので、当時作られたものを見ることはかなわない。」

「平家琵琶による平家物語を聞いて、ホメロスの抒情詩は当時このような形で伝えられていたのではないか、と涙した。」

「猫への愛が熱烈で、猫がねそべっているのを見て『こんな風に寝そべっていた時のしあわせを思い出す。』と言っていたので、依然は猫だったのかもしれません。」

「絵はただ無心に見て欲しい。絵として、言葉では表せないものを見て、そこから素直な気持ちで受け取って欲しい。詳しい説明は全然わからなくてもいい。それはあってもいいけれど、導入ではなくそのあとのことにして欲しい。イヤホンで説明だけ聞いて次から次に絵を見ていく人が多いことを悲しんでいた。」

「絵を見るのはとても難しい。お茶のように、心を澄ませてのぞまなければ見ることができない。」

「展覧会のためではなく、美の追求のために絵を描いていたので、310年に1枚というペースで創作していた。」

「住む家ひとつにしても、その窓から見える景色が絵に描きたいような自然であるかどうかを重要視した。」

「アトリエでの仕事中は私も入ることは許されませんでした。ただ、メディチ館に住んでいたころ、当時のドゴール大統領が来たのでアトリエに呼びに行きました。私が声をかけ、振り向いたその視線は、視線が形となって矢のように体を突き抜けるようなものでした。見るということ、描くということをそのようにしていたのでしょう。」

「アトリエで最期を迎えた時の言葉、『続けていかなければならない』。どういうことなのか、これでいいのか、まだわかりません。」


以下は、節子さんご自身の考えを、メモに基づいて書き残したものです。
「バルテュスがいたころはバルテュスに物を聞きにきていた人たちが、バルテュスが亡くなると今度は私の意見を聞きにきました。そうして問われ、自分の考えを思いめぐらせることはとても面白く、話をしませんかと言われれば『はい』と受けて、続けてきました。みなさんにお話をしているうちに、バルテュスとの生活が大変貴重なものだったのだと自覚して楽しんでいます。」

Q. バルテュスが好きだった日本の画家は?
「日本のやまと絵・浮世絵、中国の墨絵も好きでした。浮世絵の色調感覚は、きものを着る人にとって、色と色との組み合わせ、柄と柄との組み合わせが大変参考になりますし、フランスのデザイナーもこぞって浮世絵を研究しているそうです。
和服を着るということは、色調、きものと帯、帯と帯締め帯揚げ、の色調感覚です。
たとえ着付けができなくても、きものを着るということが大切です。きっと今ならまだ、タンスにきものがあるでしょう。この忙しい時代に、きものを着る時間を持つことが大切です。便利さを取り入れるのは、自分自身の豊かな時間を得るためです。
私は物を捨てるのが好きではありません。きものは何世代にもわたって着られるし、直線縫いの一枚布ですので座布団やぞうきんに作り替えることができます。きものを着るとは、そのような人間的で自分の国にしかない伝統を感じるということです。」

「自分で考える時間を持つことが大切です。政治も社会もあてにならない時に自分で判断するしかありません。」

Q. 海外生活などご苦労がおありだったと思いますが、どうやって乗り越えてこられたのですか?
「私は幼いころから肺結核で体が弱かったので、幸運にも哲学のテンプ先生より小学校のころからヨーガを習っていました。」

著書にサインしてくださった節子さん。ほんとうに素敵でした。



この日は私も母の夏きもので行きました。帯は天神さんで毎回立ち寄る、お昼ごろからビニール袋1枚1000~2000円で販売するお店で見つけた、掘り出し物の透け刺繍。帯締めは緑、帯留は倉敷で購入した乙女椿のブローチです。









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